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東京地方裁判所 平成10年(ワ)7265号 判決 1999年5月27日

原告

小野洋政

右訴訟代理人弁護士

伊藤圭一

被告

信榮産業株式会社

右代表者代表取締役

国本遵官

右訴訟代理人弁護士

中田明

松村幸生

田島正広

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、金八五五万円及びこれに対する平成一〇年四月一一日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告が被告の元使用人兼務取締役であったと主張して、被告からの退職に伴い被告に対し、従業員に適用される就業規則に基づく退職金の支払いを求める事案である。

一  当事者間に争いのない事実等

1  当事者等

被告は、昭和四九年一月二八日、国本南景(以下「亡南景」という)が「信榮産業」の名称で行っていた営業(以下「信榮産業」という)が法人化された株式会社であり、ゴルフ用品及び鞄製品の製造並びに販売を主たる業務としている。

原告は、昭和四七年信榮産業に雇用され、主に営業担当として勤務していたが、被告設立の際、亡南景が代表取締役、原告が専務取締役にそれぞれ就任した。

原告は、その後、平成四年、亡南景が会長職に退いたのを機に被告の代表取締役に就任したが、平成九年一〇月六日に代表取締役を辞任して被告を退職した。

2  就業規則(書証略)

被告は設立時に就業規則を作成しており、本件に関連する規定は次のとおりである(なお、交際費に関しては規定がない)。

第一条 この規定は従業員の就業に関する事項を定めたものである。

(以下省略)

第二六条 諸手当は次の通りとする。

1 役付手当

(1) 部長 五万円

(2) 課長 三万円

(3) 係長 一万円

(以下省略)

第三二条 退職金は次の場合に支給する。

1 定年に達したとき。

2 会社の都合により退職するとき。

(以下省略)

第三三条 退職金は、退職金の理由、会社への貢献度及び勤続年数等に応じて算出した金額に、次条に定める支給率を乗じた金額とする。

(以下省略)

第三四条 退職金の支給条件は次の通りとする。

1 定年退職 支給率一〇〇パーセント

2 会社都合退職 支給率一〇〇パーセント

(以下省略)

第三五条 従業員が業務命令により出張するときは、旅費を支給する。旅費の種類は次の通りとする。

1 交通費(実費)

2 日当

3 宿泊料

第三六条 日当、宿泊料は、次の通りとする。

1 部長 日当五〇〇〇円、宿泊料七〇〇〇円

2 課長 日当四〇〇〇円、宿泊料六五〇〇円

(以下省略)

第三七条 同業者または取引先と同行するなど、この規定によりがたい場合は、その都度決める。

<2> 日当の支給基準は、四〇キロメートル以上の地域とする。

<3> 宿泊料は、旅館等の領収書の提出なき場合は支給しない。

(以下省略)

(参考資料)

第三三条の「退職金は、退職の理由、会社への貢献度及び勤務年数等に応じて算出した金額」とは、原則として退職時の基本給を基準にし、これを一とし、勤続年数より支給基準率を求め、基本給に支給基準率を乗じて計算した金額とする。

(なお、勤続年数二〇年の支給基準率は一五と規定されている)

二  主たる争点

1  原告は使用人としての地位を有していたかどうか

(一) 原告の主張

原告は、亡南景の指示によって、被告の法人化に伴い専務取締役に就任したが、それは対外的な体裁を整えるためのものにすぎず、従前と業務内容に変更はなく、経営に関与した実態もなく、実質を伴うものではなかったのであり、平成四年に亡南景の指示により代表取締役に就任して、使用人としての地位を喪失するまで、昭和四七年に信榮産業に雇用されて以来二〇年間にわたり使用人としての地位を有していた。

したがって、被告は、原告に対し、就業規則に基づいて次のとおりの退職金支払義務がある(原告の代表取締役就任直前の給料月額は六二万円で、そのうち、五万円は、就業規則二六条1(1)により役付手当であったというべきであるから、基本給は五七万円となる。また、代表取締役への就任は亡南景の指示によるものであるから、使用人としては会社都合の退職であり、支給率は一〇〇パーセントとなる)。

五七万円(基本給)×一五×一〇〇パーセント=八五五万円

(二) 被告の主張

原告は、被告に在職中、自らの裁量と決定権限のもとに広く営業活動を展開し、製造についても自らの判断で行うなど中心的な役割を果たしてきたものであり、名実ともに被告の取締役であったもので、使用人としての地位は有していなかった。

したがって、使用人ではなかった原告には就業規則の適用はなく、被告には退職金支払義務はない。

2  消滅時効

(一) 被告の主張

仮に原告が代表取締役就任時まで使用人としての地位を有していたとしても、代表取締役に就任し、使用人としての地位を喪失したのは遅くとも平成四年一一月一日であり、使用人としての退職金請求権は、このときに発生し、遅くとも平成九年一一月一日までに時効により消滅した(労働基準法一一五条)ものであり、被告は、これを援用する。

(二) 原告の主張

原告は、代表取締役就任時、亡南景との間で、被告は原告に対し、原告が代表取締役も退任して被告を退職する際に使用人としての退職金を支払う旨の合意をしたものであるから、原告が退職金を請求しうるのは、代表取締役を辞任した平成九年一〇月六日である。

したがって、退職金請求権の消滅時効は完成していない。

(三) 被告の反論

原告と亡南景の間に原告主張のような合意はない。

第三当裁判所の判断

一  原告は使用人としての地位を有していたかどうかについて

1  証拠によれば、次の事実が認められる(争いのない事実を含む)。

(一) 被告の代表者である国本遵官(以下「遵官」という)の父である亡南景は、元々信榮産業として、ミシン工場を個人経営していたが、昭和四七年ころから鞄製品等の製造、販売を行うようになった。亡南景は、製造の技術はあったが、営業は苦手であり、そのころ信榮産業に勤務するようになった原告が営業部長として、主として営業に従事していた。亡南景は、昭和四九年一月二八日、信榮産業を法人化して被告を設立し、代表取締役となり、原告は専務取締役に就任し、被告に営業部長という役職はなくなった。もっとも、被告設立当初、従業員はおらず、信榮産業の時代と同様、亡南景と原告の二人で全業務を行っていたが、その後従業員を雇用するようになった。また、専務取締役という名称は原告以外では、遵官が亡南景の死後一時使用していたことがあるだけである。

なお、被告設立に際し、原告は、その発起人とはなっておらず、被告の株式についてもこれまで保有したことはない。

(書証略、原告及び被告代表者各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨)

(二) 被告の取締役は、亡南景の存命当時、亡南景、原告及び亡南景の妻である国本すみ子の三人であり、国本すみ子は実際には被告に出社して業務を行うことはなかったが、昭和六〇年八月一日から昭和六一年七月三一日にかけて年額八四万円の役員報酬を被告から受領していた。また、被告の監査役である徳山貞夫は、亡南景の親戚である。平成四年に亡南景が代表取締役を退任したのに伴い、原告は被告の代表取締役となり、その際、昭和六二年に被告に入社した遵官が被告の取締役に就任した。平成六年八月に亡南景が急逝した後は、遵官も被告の代表取締役に就任し、被告の代表取締役は二名となったが、平成九年一〇月に原告が退任して以降代表取締役は遵官一名である。

被告の資本金は一〇〇〇万円で、株式の四〇パーセントは遵官が亡南景から相続して所有し、残りは遵官の兄弟らが所有している。ただ、被告においては、亡南景の存命中から株主総会が開催されたことはなく、取締役会が開催されたこともない。

(書証略、原告及び被告代表者各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨)

(三) 原告の給与(その性質について賃金か報酬かで当事者間に争いがあるところ、便宜上「給与」と称する)は、信榮産業に雇用された当時、月額約三五万円であり、その後昭和五九年一月、昭和六〇年一月当時で月額五八万三〇〇〇円、昭和六一年一月、昭和六三年当時で月額六〇万円、平成元年一月、平成四年一月、平成五年一月当時で月額六五万円、平成五年七月当時で月額六七万円であった。一方、亡南景の役員報酬は、昭和五九年一月、昭和六〇年一月当時で月額六八万円、昭和六一年一月、昭和六三年当時で月額七〇万円、平成元年一月、平成四年一月当時で月額七五万円であった。原告の給与及び亡南景の役員報酬は、決算報告書(書証略)において役員報酬として記載され、給料台帳(書証略)及び給与明細書(書証略)にも諸手当及び賞与の記載はない。原告が被告の代表取締役に就任する以前、被告において、諸手当がなく、本給一本で支給されていたのは、原告と亡南景の二人だけであった。

また、被告の一般従業員中で課長であって、最も賃金が高額であった毛江田俊英(以下「毛江田課長」という)の賃金は、平成四年一月当時で基本給月額二六万七八〇〇円、諸手当を含めた支給総額が月額三三万四五〇〇円であった。なお、毛江田課長は、原告より約一〇歳年下で、被告に入社したのは原告の五年ないし六年後であった。

(書証略、原告及び被告代表者各本人尋問の結果)

(四) 原告は、被告設立後も主として被告の営業に従事していたが、昭和四九年に被告が製造を下請業者に製造委託するようになって以降、顧客から注文を受け、下請業者に発注するという製造関連の業務にも従事するようになり、また、商品の輸出入業務も行っていた。被告において、営業には、毛江田課長や従業員当時の遵官も従事していたが、原告が最も広範に営業に従事し、そのため、交際費の使用額も社内で最も多額であった。

原告は、営業を行うに際し、専務取締役の肩書きが記載された名刺(書証略)を用い、同意書(書証略、株式会社アシックスが同社商品の韓国での製造委託、その輸入及び輸入通関業務を被告に委任することに同意する旨の書面であり、実質的には契約書というべきものである)、発注請書(書証略)等を専務取締役名義で作成し、平成二年夏ころ、埼玉県草加市に建設されることになった流通センターの地鎮祭に被告から亡南景とともに出席するなどしていた。原告は、出張の際、被告の資金不足のため、出張旅費に充てるため、亡南景名義の被告の法人カード(クレジットカード)を使用したことがあったが、そのような取扱いをしたことがあったのは原告だけであった。また、社内的には、下請業者等からの納品書に対し、亡南景とともに決済印を押捺するなどしている。

(書証略、原告及び被告代表者各本人尋問の結果)

(五) 亡南景は、営業に直接関与することなく、したがって、顧客を訪問したり、出張することもほとんどなく、原告が顧客との商談の過程で価格決定等について報告すると、もう少し利益を出すことはできないのかなどと述べることはあったが、原告が競合相手の状況や亡南景の提案のプラス・マイナスについて説明すると、それで了承し、駄目だと言うことはほとんどなかった。また、原告の出張旅費、交際費の使用等については、説明を求めることはあったが、異議を述べることはなく、事後報告の場合もあったが、それにも特に異議を述べることはなかった。もっとも、製造委託契約書等被告の業務の基本的事項に関する契約書の作成は亡南景名義で行われていた。亡南景が被告において主として行っていたのは被告の経理、資金繰等のほか、被告の重要な資産の購入や売却であり、このようなことに原告が直接関与したことはなかった。例えば、被告は、昭和五七年ないし昭和五八年ころ、本社の土地、建物を取得したが、その際、原告は亡南景から相談を受けることはなく、事後報告を受けただけであった。平成二年ころ、被告が本社の土地、建物を売却して埼玉県草加市の流通センターの土地、建物を取得した際も、亡南景が原告に事前に相談することはなかった。

(証拠略、原告及び被告代表者本人尋問の結果)

2(一)  まず、原告のように登記簿上取締役であっても、経営に関与する等株式会社の機関としての取締役の業務執行に従事するなどの取締役としての実体がなく、実際の業務から見れば、一般の従業員と何ら変わりない場合には、実質的には取締役とはいえず、従業員にすぎないというほかない。そして、取締役としての実体を備えているかどうかは、実際に遂行している業務の実態、給与の額やその取扱い、取締役就任前後の給与額等の諸事情を総合的に考慮して判断しなければならないというべきである。

そこで、以下にこれらを踏まえて検討する。

(二)  前記1(一)によれば、原告は信榮産業の時代から主として営業に従事し、被告においても同様に主として営業に従事しており、被告の専務取締役に就任してその業務内容に大幅な変更を生じたような事実は認められない。しかし、被告設立当初、従業員はおらず、信榮産業の時代と同様に被告の全業務を原告と亡南景が行っていたこと(原告の給与は信榮産業に入社した当初の昭和四七年当時ですでに月額三五万円程度であり、毛江田課長の賃金が平成四年一月当時で諸手当を含めて月額三三万四五〇〇円であったこと(前記1(三))と比較することによっても、原告は、信榮産業の時代から重要な役割を担い、広範な業務に従事していたことが推認できる)や、亡南景も日常的な業務を行っていたこと(被告代表者本人尋問の結果)、従業員を雇用するようになってからも従業員は一〇人足らずで、役員や時間給の従業員等を含めても二〇名弱と少なく、被告は株式会社であるとしても極めて小規模であったこと(証拠略)などからすると、取締役であるからといって日常的な業務には一切関与しないということはできないというべきである一方、日常的な業務を行っているからといって直ちに使用人としての地位を有しているということもできない。また、被告において、取締役会が開催されたことはなかったが、被告の業務を行っていた取締役が原告と亡南景の二名のみであったこと(前記1(一)、(二))からすれば、実質的に業務についての相談をすることは容易であったものと推認することができ、取締役会が形式的に開催されていなかったからといって、原告には、経営に関与する機会はなく、使用人としての地位を有していたということにはならない。

確かに、原告は、経理、資金繰や被告の重要な不動産の購入、売却に直接関与せず、亡南景から事後的な報告を受けるだけであったことは前記1(五)のとおりであり、国内における商品の製造に関しては、亡南景が指示をしていた事実も認められる(書証略)。しかし、一方、営業に関しては、亡南景は営業が苦手であったこともあって、直接関与したことはない。原告は、自己の判断で決定することはできず、何事も亡南景に報告しその許可を得なければならなかった旨主張し、原告の陳述書(書証略)には同趣旨の記載があり、原告本人尋問にも同様の供述部分がある。しかし、前記1(五)のとおり、営業に関して、亡南景が述べたのはせいぜいもう少し利益を出すような価格決定はできないのかといった程度のことであり、しかも原告の説明によりその意見に同意し、それを拒否することはほとんどなかったというのである。さらに、亡南景が新規顧客の開拓、ルートセールスの方法等被告の営業の根幹にかかわる部分について積極的に意見を述べたり、原告に対し、一方的、かつ具体的な指示をした形跡も全くない。また、例えば、原告が従事していた輸出入業務において、原告がL/Cのスケジュールを作成し(書証略)、L/Cの開設及び輸出入の条件等について事後報告で行われたこともあり、事前の場合であっても、最終決定までに時間的な余裕がなく、亡南景が意見を述べたり指示をしたりする余地のないこともしばしばあり、そのようなことは、海外工場のとの折衝においても同様であった(書証略)が、このことで亡南景が原告に注意をしたりした形跡はない。

これらのことからすると、被告の経理、資金繰及び国内の製造に関しては亡南景にその権限が集中していたといわざるをえないとしても、輸出入業務を含む営業に関しては、亡南景と原告の間に支配従属関係があったということは到底できず、実質的に原告に広範な権限があり、亡南景はほとんど関与する余地がなかったというべきである。

なお、営業に関し、被告の業務の基本的事項に関する契約書の作成は亡南景名義で行われていた(前記1(五))が、亡南景のみが被告の代表者であったことからすれば特に不自然なことではない。実際、基本契約書は亡南景名義で作成されていたとしても、被告の取引先の株式会社ヴィクトリア(以下「ヴィクトリア」という)の取締役であった小村欣也(以下「小村」という)は、亡南景と会ったこともなければ、互いに立会の上、契約書を作成したこともないこと(人証略)からすれば、右は原告に実質的な権限がなかったことの裏付けとはならない。むしろ、前記1(四)の同意書(これは実質的には、個別的なものにしろ、性質は契約書ということができる)が原告名義で作成されていることからすれば、営業に関しての原告の権限が多大なものであったことが窺われるのである。

また、(人証略)によれば、原告は、細かい商談については、ヴィクトリアの商品部の担当者と交渉して成立させていたが、金額や量が大きいものについては、ヴィクトリアの取締役であった小村と直接商談を進め、最終段階で被告に持ち帰って検討し、後日商談をまとめるということがほとんであったことが認められる。小村の陳述書(書証略)には、そのような場合、原告は持ち帰って亡南景と相談して決めているようだとの記載がある。しかし、被告のような小規模な会社において、金額や量の大きい取引について慎重な対応を採ったとしても特に不自然なことではなく、原告が実質的な権限を有していることと何ら矛盾しないばかりか、右証言によれば、原告は、被告において、ヴィクトリアの取締役であった小村とも直接に商談を進行させることができる立場にあったことが認められるし、亡南景と相談して決めているようだという部分は、原告が被告の株式を保有していないことを知っていた(人証略)が、そのことから推測して記載したものというべきであり(小村は、前記のとおり、亡南景に直接会ったことはなく、原告から亡南景と相談して決定するというような話を聞いたことを認めるに足りる証拠もない)、そのことから原告に最終的な決定権限がなかったということはできない。

(三)  前記1(三)から原告の給与を見ると、被告設立当時の原告の給与は不明であるが、専務取締役就任後の昭和五九年一月から代表取締役就任後の平成五年七月までの約九年間で二割弱しか給与は増額されていないのに対し、信榮産業に雇用された昭和四七年から昭和五九年までの約一二年間には七割弱も増額されていることからすると、原告が被告の専務取締役に就任した際、大幅に給与が増額されたことが推認できる上、原告が代表取締役に就任した平成四年当時には給与は増額されていない。また、原告の給与は、遅くとも昭和五九年一月以降諸手当や賞与はなく(賞与について、原告は、その本人尋問において、昭和五二年ないし昭和五三年ころは支給されていた旨供述し、原告の陳述書(書証略)には、それ以降は給与明細外で支払われていた旨の記載があるが、これらを裏付ける証拠は一切なく、直ちに採用するのは困難である)、基本給一本であり、昭和六〇年から昭和六一年の決算書(書証略)においては役員報酬として処理されている。さらに原告の給与は、亡南景の役員報酬より低額であるが、その差は一〇万円を超えることはなかったのに対し、従業員中最も高額な賃金を得ていた毛江田課長と比較すると、平成四年一月当時で原告の給与は毛江田課長の賃金の約二倍であった。毛江田課長は、原告より一〇歳程度年下であったというのであるが、被告への入社は五年ないし六年後であり、平成四年当時でいえば、勤続年数は、原告が二〇年であった(信榮産業の時代も含めて)から、毛江田課長もすでに一四年ないし一五年であったことになるのであって、そのことからすると、両者の賃金に差があるのは当然としても、同じ従業員間で二倍もの違いがあることまで当然であるとは言い難い。

つまり、原告の給与は、他の従業員と比較していわば破格に高額で、代表取締役であった亡南景の役員報酬に極めて近い額であり、経理上の取扱いも従業員とは異なり、代表取締役であった亡南景と同じであり、しかも、代表取締役就任時には給与額に変更はないのに対し、専務取締役に就任した際には大幅に増額されたことが推認できるのである。

(四)  原告の立場を被告の社内的に見ても、納品書等の決済を亡南景とともに行い、出張に際しても業務日誌を作成することもなく(書証略)、出張旅費や交際費の処理も原告に関しては就業規則どおりには行っていなかったが、説明を求めることはあったにせよ亡南景がそれに異議を述べるようなこともなかった。例えば、被告において、就業規則上日当及び宿泊料の合計は一日当たり一万二〇〇〇円が最高額である(書証略)が、原告の場合は、一日当たり二万八〇〇〇円使用していたこと(書証略)があり、接待費について、領収書の金額欄を原告が書き込んだりしたこともあった(証拠略)。また、種々の事情があったにせよ、出張に飛行機のファーストクラスを利用したり、法人カードを使用するなどの取扱いをしたことがあったのは原告だけであったこと(前記1(四)、書証略、被告代表者本人尋問の結果)や、遅くとも昭和五五年以降タイムカードの打刻をすることもなかったことなど、他の従業員とは異なる立場にあったことは明らかである。

(五)  これらの事情からすると、営業が苦手であった亡南景は、自分は経理担当、原告は営業担当という認識のもとに、被告における亡南景の実質的なパートナーとして、原告に対し専務取締役就任を依頼し、これに応じた原告も営業に関して、広範、かつ実質的な権限を有して業務に従事し、社内的にも対外的にも専務取締役として行動していたということができる。したがって、亡南景と原告には業務分担があったり、亡南景には被告の代表権があり、原告にはそれがなかったという意味での制約や役員報酬の差があったとしても、原告は名実ともに被告の取締役であったのであり、被告の使用人としての地位を有していたということはできない。

なお、原告は、被告の株式を保有したことがなく、被告が小規模な同族会社であったことも、使用人としての地位を有していたことの根拠の一つとしているが、実際に原告が従事していた業務の実態を見れば、そのこと故に原告の業務執行が大幅な制約を受けていたような事情も見いだせない以上、原告が株式を取得したことがなかったことをもって、使用人であったということはできない。

また、原告は、亡南景と使用人としての退職金の支払いを前提として、その支払時期を代表取締役退任後原告が被告を退職するときとする合意をした旨主張するが、これを裏付けるような書面が作成された形跡もないし、原告の陳述書(書証略)には、代表取締役就任直後との記載があるが、原告本人尋問において、原告は、被告の本社を売却した平成二年ないし三年と供述しており、合意の時期も判然としないばかりか、原告の供述どおりとすると代表取締役に就任するかなり以前の合意ということになり、不自然であるし、(人証略)にしても、取締役になる際の退職金の精算の助言は、原告が代表取締役に就任する以前である昭和六二年ないし昭和六三年ころ、小村の方からしたというのであり、その後原告が代表取締役に就任した後に原告から聞いたという、亡南景が原告に対し代表取締役退任時にまとめて払うといったという内容についてもそれが役員の退職慰労金なのか従業員退職金なのかも判然としないもので、右証言をもって、原告が被告の使用人であることを前提として、その退職金を支払うことについて原告と亡南景の間に合意があったということはできない。

3  右のとおり、名実ともに被告の取締役であり使用人としての地位を有していなかった原告には一般の従業員の就業に関する事項を定めた就業規則の適用はできず、就業規則を根拠とする退職金請求は理由がないというほかない。

二  以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松井千鶴子)

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